2024.02/vol.221
戻る力、居る力
とある寺院の近くに店主の農産物加工場がある。彼女の車でそこに向かった時のこと。里山に入り寺院を過ぎるころに「不動で思い出しましたが…」と、彼女が興味深い話をしてくれた。※不動とは寺院の名称の一部。
専業主婦から脱サラした彼女。今はパート従業員を数人雇用しているが、創業時は製造から小売りを一人でこなしていた。均一に量産することに難儀し、慣れない接客はミスも多かった。お客様の苦言に動揺し、自分は商売に向かないのではと落ち込んだという。そんなある日、先の寺院に立ち寄った彼女。不動という名前にひかれ、動揺しない心を求めて手を合わせていた。たまたま境内を通ったお寺の方に胸の内を話すと、その方のひとことでずいぶん楽になったという。それは「動揺しない人はいません。しないように見える人は、元に戻るのが早いだけです」。
今年は甲子園のない春夏だったが、打たれて動揺し崩れていく投手が思い浮かんだ。一方、勝ち進む投手はどうか。やはり打たれて塁が埋まれば動揺するだろう。しかし、野手がマウンドに駆け寄るころにはケロッとしていて、凡打に打ち取りベンチに戻っていく。この差は、動揺の有無や大小ではなく、動揺から「戻る力」の差ではないか。
もう一つ、コンサルティング先の痩身が主力のエステサロンには、顧客の評価が上昇傾向の女性従業員(新人)がいる。顧客アンケートには「食事や運動習慣をサボった時、来月がんばろうと励まさないところが好き」と、その彼女への感想が寄せられていた。店主によれば、彼女はとりわけ施術が上手いわけではないが、施術前後の雰囲気が他の従業員と違うのだと。ダイエットメニューを守れず自己嫌悪ぎみの顧客を「来月こそは!」と、ありふれたフレーズで励ましても、顧客は置き去りにされるだけ。彼女はまず、そこに「居て」言い訳でも愚痴でも構わないので「そうですか、続かなかったのですね」と、受け止め、先を急がない。彼女からの学びは、ただ、そばに「居る」にも「力」が要るということ。なかなか真似できない姿勢だと店主は評していた。
今日は「戻る力」と「居る力」について2店のエピソードを紹介した。接客場面を想像しながら読んだ方も多いと思うが、何となく分かっていても、こうして言葉にすることで腑に落ちる感覚もある。貴店の接客のあり方の参考になれば幸いだ。
-
vol.
230傾聴が役に立たない時もある
-
vol.
229初めてのおつかい
-
vol.
228創業からの人