2021.06/vol.189
初心を逓減させないために
前号で、三密回避を逆手に取った店主を紹介した。逆境を理由に恒例催事を見送るのは簡単だ。そこを、あえて開催する戦術を練り、覚悟を決めて挑んだ店主は、商売の醍醐味を満喫することができた。私は、店主とのやり取りを通じて、逆境時の「覚悟」が商いを支え続けていることを学んだ。そしてもうひとつ。商売の醍醐味の根底にある、かけがえのない「初心」。ともすれば忘れがちなそれを、逓減させないポイントも教わった。
逓減とは、次第に減ること。ビールなら、ひとくち目が最もおいしくて、2くち、3くちと感動が薄れ、しまいには惰性で飲むようになる。これが限界効用逓減の法則だが、商売も同じことがいえる。
たとえば、初めての催事を想像してほしい。駐車場に最初のお客様の一台が入ってきた時に窓越しに頭を下げ、迎えに走ったこと。新商品販売の朝、ひとつ目を買ってくれたお客様に思わず駆け寄り、お礼を言ったこと。こうした感動は初心そのものだが、ピークは初回。回を重ねると行列にも慣れ、売れて当たり前になる。初心も逓減するものなのだ。
ところで、前号で紹介した店とは10年以上のお付き合いだが、店主から「初心の逓減」を感じたことがない。たとえば、慣れた催事でも、初めてのように早くから準備を始め、ぎりぎりまで諦めずに点検。当日も終日店頭に立ち一所懸命に対応。お開き後は間を置かずに検証、という謙虚な姿勢を貫く。
なぜ、慣れた催事にも初心で向かうことができるのか。店主とのやり取りを振り返り、これかな、と、思い当たるのは「もう一人の自分との対話」だ。
店主は、私に会うと決まって同じことを口にする。それは「自分が本当は何をしたいのか?と、自問しはじめた時のこと」。これが「もう一人の自分との対話」の成せる業だと思う。対話には、静かに身を置く時間と場所が必要。店主は自宅で過ごす早朝と深夜の時間をこれにあて、対話しているに違いない。なぜそう思うのか。封書だ。店主がことあるごとに送ってくださる手紙の終いには時間が記されている。「午前5時」。これは、先般の便せんの8枚目にあった時刻。静かなリビングで、もう一人の自分と対話しつつ筆を走らせる姿が浮かんでくる。
手紙で毎回、触れられているのは、お客様と従業員への感謝の気持ち。おかげさまで。ありがとう。そして「そもそも」という、店のあり方。「こうしたい」という将来のことも。それらをつなげて、今の商売を俯瞰する時、自ずと初心を反芻する。これがもう一人の自分との対話の真骨頂ではないか、と。夏はもう、年度初めの初心を忘れている頃だろう。少しでもズレを感じていたなら、もう一人の自分との対話をおすすめしたい。創業当時まで遡らなくても、年度初めの初心を反芻するだけで軌道修正は可能なはずだから。
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vol.
230傾聴が役に立たない時もある
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vol.
229初めてのおつかい
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vol.
228創業からの人