2025.12/vol.243
心境の変化
裏方仕事を軽くみていた。高2の春休みに仕出し業のアルバイトを始めた。会社に電話したのは2月下旬。高校名と服のサイズをこたえると出勤日を告げられ、拍子抜けしたことを覚えている。日曜の朝7時過ぎに出勤すると作業服を渡され、案内された厨房には立ったまま丼をかき込む男性が3人。そのうち眉が極細で目つきの鋭い1人に手招きされ、まかないを渡された。鮪と納豆のカレー。驚く私に「はやく食え、夕方まで休みなし、おかわりしろよ」と、彼は箸を振った。おかわりのタイミングを見計らううちに、仕出し料理の盛りつけが始まった。私は料理の入った箱をワゴン車に積み、助手席に乗るよう指示された。その後、彼とペアを組み市内3箇所の結婚式場を巡り、箸並べから撤収まで一連の作業を暗くなるまで繰り返すことに。この日はずっとぎこちなかった。それはバイト初日だからではない。助手席に座るやいなや「(作業服の胸と袖の)ボタンをぜん閉めろ」と睨まれたからだ。油断していた。私は短く返事をするのが精いっぱい。無言の車内で赤面し裏方仕事を軽くみていたことを反省した。
地下駐車場に着いてすぐ、台車を降ろし荷物を移した。彼と2人で静かに台車を走らせていると、靴のかかとを擦らずに歩け、お客様とすれ違う時は左に寄って会釈しろと、箱越しに低い声が響いてきた。その声に焦り動きがぎこちない自分がもどかしい。その後も残飯の廃棄や容器回収など、こと細かに指示が飛んできた。肩の力が抜けたのは帰りの電車内。まかないの「おかわり」の意味もわかった。
彼とのペアを考えると翌週のバイトは気が重かったが、結局、同じ時刻に出勤した。まかないをおかわりしてから助手席へ。新たな作業も増えたが、不思議と身体がすんなり動き、焦ることなく仕事を終えることができた。
なぜ焦らずにすんだのか?それは心境が変化したからだと思う。先週彼に睨まれたおかげで軽く浮ついた心境は消えていた。代わって、落ち着いた心境で指示に耳を傾けたから、すんなり身体が動いたのだと思う。同じ指示でも、どんな心境で聞くかによって身体の動きが違ってくる。偉そうに書いているが、これはだいぶ後になって気づいたこと。今は指示することが多い立場だが、シャツのボタンに手を伸ばす時、たまにあの睨みが頭をよぎることがある。しかし、聞こえてくるのは「ボタンをぜんぶ閉めろ」という彼の声ではない。「油断するな」という自分の声だ。
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vol.
243心境の変化
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vol.
242心が揺れて学ぶこと
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vol.
241ヘビーユーザーの後悔

