土きど器(ドキドキ)の駅
「まちの駅」シリーズ第17弾。前回ご紹介した「まちの駅 会津藩 会津武家屋敷」とともに、「いにしえ夢街道」につらなり、その街道筋のちょうど中心あたりに、会津焼の伝統を受継ぐ会津慶山焼「土きど器の駅」があります。
会津慶山焼のはじまりは、文禄元年(1592年)、当時の会津藩主である蒲生氏郷が、黒川城(現鶴ヶ城)の屋根瓦を、ここ慶山の地でつくらせたのが起源とされています――。慶山地区は、お城の石垣の採石場もあり、屋根瓦の原料にもなる良質な粘土質の土がとれたこともあって、城下の物資供給場として栄えていたようです。その後は時代にもとめられたものづくりを経て、日常使いの器づくりへと移り変わっていきました。もともと会津には、会津焼と呼ばれる地区ごとに4つの窯元がありましたが、時代の流れとともに廃れ、今では、当会津慶山焼が、会津若松の唯一の窯元として伝統を引き継ぎ、今日も、つくりつづけております。
現在の会津慶山焼は、伝統的な技法を受継ぎ、新しい視点と技術をとりいれながら「使いやすい器」をめざしつくりつづけています。多くの史跡や名所が、あちらこちらに点在する「会津いにしえ夢街道」には、年間たくさんの観光客や修学旅行生が訪れ、当窯へも器選びや陶芸教室をたのしみに、大勢の方が足をはこんでいただいております。陶工が心をこめてつくった器や、世界にひとつしかない体験の作品が、みなさまの日常の暮らしになじんでいってくれたら、それが会津慶山焼の窯元としてのささやかな願いです。会津へお越しの際は、ぜひ、お立ちよりいただき、実際に、手にとって感じてみてください。
会津慶山焼
福島県会津若松市東山町大字石山天寧67
TEL 0242-26-2507
http://www.keizanyaki.com/